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【雑記】25歳になったので社会人生活を振り返る 2年目

2年目

2年目の初め、新しいプロジェクトにアサインされる。
偉い人と直接の上司に、簡単なプロジェクトだと伝えられる。

チーム構成は上司・開発経験がなくインフラ畑の先輩・俺の三人。
上司は結構楽観的に見ていたけども、俺と先輩は序盤から残業をしながら不安を募らせていた。
開始から2ヶ月位経った頃、プロジェクトが燃え始めた。
客の要望は固まらず、先行着手している部分も巻き戻りが発生し、何が正しいかもわからず実装を進める毎日だった。

VBAほぼ未経験の上、業務要件も余り理解していない中、どうにか資料を読み込んでシステムのベースになる部分をほぼ一人で作らされる。
上司は要件定義に奔走していたし、先輩は切り離された別の機能を作っていたから、助けを求める先は無かった。
全部一人で完結しなきゃならなかったせいで、ある意味ものすごく勉強になった期間ではあるかもしれない。
毎日終電ギリギリまで作業をして、たまに会社に泊まったり休出して、なんとか形にした。

休日に誰かとしゃべっていても脳内でテーブル定義がぐるぐるしているレベルの地獄が続いた後、別プロジェクトへの配属を理由に離脱する。
既に季節は夏も半ばだった。

疲弊した身体を休めるため、しばらく長めの休みを取ったり、別案件のヘルプとして駆り出されたり、平穏な日々を過ごしていた。
でもそれは淡い夢だった。 1ヶ月ほど経った頃、クロージングできずに要件が増えて帰ってきたPJに連れ戻される。

そこから年末まで、連休を全て会社で泊まって過ごしたり、リリース前日にもテストが終わらず24時間ぶっ続けでリリース状態にする作業をしたり、明日用事あるから帰らせてくださいって言ったら始発に帰れば大丈夫だよね?って感じで朝まで仕事をしたりする日々が続いた。
不思議と、7月の勤務時間を超えることはなくて謎だった。

年末になって、ようやく本当に別プロジェクトに移動できることになる。
未経験のJavaのシステムの保守だった。知らないことしか振られない。
ただし、求められるレベルはそう高くなく、俺でもなんとかこなせた。
この頃から、どんどん暇になっていった。

現在と今後に続く